続・自分を大切にするということはどうすること?

続・自分を大切にするということはどうすること?

『自分を大切にするということは自分の感情を大切にすること』
そして
大切にすることできなかった感情のひとつが「いや」という感情だったことを前のブログに書いた。

さらに、大切にしてこれなかったもうひとつの感情が、

「〜したい」という願望だ。

「いや」という感情の奥には、
あたり前だけれど、「本当は〜したい」とか「本当は〜でありたい」という望みがある。

「いや」という気持ちを大切にしてこれなかったから、
「いや」の奥にある、「本当は〜したい」「本当は〜でありたい」という願望も同時に大切にできなかった。

「いや」を言い切れないとき、おのずと、いやの奥にある望みは叶えられることがなく、
諦めて消滅させてしまうか、少なくても一旦は取り下げることになる。

母とのやりとりのなかで、
望んで、諦めて。
望んで、取り下げてを繰り返してきたな。

いいと言えば、許されて。
ダメと言えば、取り下げる。

諦めが良すぎた、もっと駄々をこねてもよかったのに。
「わたしはこれがしたい!」「わたしは絶対こうする!」そう主張して譲らなければよかったのに。
聞き分けのいい子、従順な子ども、親の言うことを受け入れる子どもだった。

心の学びのプロセスで、このことについて幾度かセッションを受けたが、
『親の言うことはきくものだ』と小さい頃から信じていたようだ。
インストールしていて、そのように自動的に動いてきてしまったような感覚。

『親の言うことをききなさい』と言われた記憶はないのだ。

『親の言うことはきくものだ』
そう信じ込んできたといえる。
そういう考えに囚われていた。
気づいていないから、そうするほかに選択肢がなかった。


明治初頭から続く、武道道場の家系に生まれ、
文武不岐や礼節を重んずる武道の思想の中で育まれ、
両親がするように親を尊び、
物心つく頃には、
『親の言うことはきくものだ』そういう信念となっていたのだろう。

子どもの頃は、親の言いつけに従うことで、守られてきたり、頑張ることで成長することができた。
でも、もう大人だ。
責任をとることもできる、誰かに守ってもらう必要もない。

親の言うこと、夫の言うこと、世間の言うこと、
それらを優先にするのではなく、
わたしの望みを大切にしていい。


何かしらの仕事や役割をしないといけない気がして、
ゆっくりと休んだり、昼寝をしたりすることは、
怠けていることで罪悪感を感じ、

望むなら、
何かを一生懸命に頑張って達成した後でなければならない。

楽しいことをしたら、
次はきちんと自分のなすべきことをしなければならない。

そう感じていて、そうしてきた。
無条件に望んだり、無条件に望みを叶えて楽しんではいけなかったみたい。

当時、自分を大切にするとはこういうことかな?と思っていた以下のこれらのこと。

・自分の時間を取る
・カフェに行ってゆったり時間を過ごす
・疲れたらたっぷり寝る
・ときには贅沢する
・気に入ったものを買う e.c.t.


じつは、
なにかを頑張ったから、自分を犠牲にしてやっているから、そんな自分へのいたわりに
なにかを達成できたから、我慢してなにかをやり終えたから、そんな自分へのご褒美に
かなえてきたことだったのかも。

なにかを頑張らなければ、なにかを達成できなかったら、望みを叶えてはいけないの?
そんなことはないのにね。

無条件で望んでいいし、なんの条件もなく叶えていいものだよ。

それが到底できなかったから、
これらをすることが自分を大事にすることだ、と言い切るには違和感があったんだ。

「〜したい」と感じたら叶えていい。
ただ楽しんでいい。

そう心底思えるようになった。
最近ようやくね。

心の学びで、『親の言うことはきくものだ』という信念をもっていると知ったことは意味深いことだった。
気づかなければ、
それを変えることはできないから。
気づくことで、健全にそういう自分とさよならすることができた。

「いや」と「〜したい」
これらの気持ちを大切にできたなら、ある意味、わたしは自由になれたのでは?
いつも選択肢があることが自由ということじゃないのか?

「いや」と言ってもいい。
「いや」だけど、「引き受ける、受け入れる」と決めてそうしてもいい。
「やりたいからする」それでいい。条件なし。
「〜したい」けど周り人の思いや、状況を鑑みて、「やっぱりやめとこう」とするのもいい。

自分が決める。
決めたことには責任を持つ、誰のせいにもしない。

なんだか、とてもすっきり。
とてもシンプル。



我が子らは、
「やりたくない」と思ったことは、何を言われようと、それをしないことが多々ある。
そんなことがなぜできるのか?
ずっと謎だった。

どうしてこの子たちはこうなんだろう?
あの自由さが理解できなかったし、受け入れられなかった。

子どものありのままをダメとして、
こうして欲しいという親の希望を押し付けるからややこしくなる。

現実に抗するから苦しくなったり、辛くなったりするんだ。

しんどい子育てになってしまうよね。

わたしがわたしの「いや」と「したい」を大切に扱えるようになって、
こどもの「いや」と「したい」を受け止められるようになったよ。

わたしがわたしの「いや」と「したい」を大切に扱えるようになって、
全てを自分で選べることに気づいた。
そして、子どもは自分で選びたいと思っていること、そして選んでいることに気づいたよ。

わたしがわたしの「いや」と「したい」を大切に扱えるようになって、自由になった。
そして、子どもの自由さを受け止められるようになったよ。

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